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2010.03.23

彩。

昨日、ベッドを買い替えたのを機に部屋の整理をしました。
ついつい小さいものを集めてしまう癖があるから、私の部屋はとにかく物が多い。

現在は文庫本やCDが中心の収集癖ですが、もともとは文房具、それもペン、を集めるところから始まった気がします。

小学生の頃、なけなしの小遣い、月に数百円、を握りしめて、
習い事の教室が入っているビルの一階にあった文具店に、
バスで8分の隣町の雑貨店に、
電車で6分の繁華街の大きな画材店に、
友達と出かけては、1時間ぐらい吟味してペンを買ったものです。
一本100円とか、150円のラメ入りボールペンとか、カラーマーカーとかを、少しずつ、
今日はスカイブルーを買おう、この前はあの黄色とエメラルドグリーンを買ったもの。
と買っていくのです。
全12色ならば半年もしないうちに買いそろえてしまって、満足そうにノートをラメだらけに。
全36色なら、好きな色を中心に、グラデーションで揃えていく。イラストを書くときは色まできっちり塗ろうとする。

そうやって、どんどん集めました。
ラメ入りのボールペンは使い辛かったか、使い切ったかでだいぶ前に処分してしまったけれど、
カラーマーカーの大半は、昨日まで残っていました。
買ったもの以外にも、幼稚園で使っていたものの幾つかと、何かでもらった蛍光ペンもあって、机の引き出しの少なくない面積を占めていたので、まだインクが十分にあるもの以外はご退場願うことにしました。

プリントの裏に適当な言葉を走り書きしてチェックしていく間に、
あぁ、このピンク、桜色って友達が読んでてお気に入りだったなぁ、
この青色は、気になっていた男の子が青が好きって言うから買ってみたんだっけ、
黄色がいっぱいあるのは、金髪の女の子をよく描いていたからだよね、
と、小学生時代の記憶を、買った時、使っていた時のウキウキわくわくとした気持ちごと思い出して懐かしい気分になりました。

出来ることなら、全部残しておきたい。
まっすぐと、前だけ見ていたあの頃。
家と教室と学校の周りと電車やバス、車で行く「遠いところ」だけが私の世界だったあの頃。
狭かったけど、カラフルで輝いていた気がする。

まだ片手で握りしめられるくらいの本数は残っているので、
4月からはペンケースに忍ばせて、授業ノートに彩りを与えようかな。

ひとまず、使わなくなったマグカップをペン立てにして、机の上に置きました。

2010.03.15

マイホーム

地元が、家が好きだと言った人のその言葉に、小さな驚きを覚えた。
会話の流れで、でもこちらの目を見て素直に、何の躊躇いもなくさらっと言ってのける。
ただ好きだと言うそれだけの事が素晴らしく思えた。

私は、たぶんすらっとは言えない。

I wanna see what I've never seen before.

いろんなものを見たい、知りたい、感じたい。
好奇心の赴くままに生きてきた。
現在地が不変不動なものとは思わなかった。

ふるさとや地元という言葉に当てはまる場所はない気がして、恋しく思うこともあるし、口にする度に違和感を抱くこともある。
今の「地元」もいつか出ていく場所の1つだろうとずっと思い続けている。

坂の町。
古くからある商店街。
森林公園と米軍居住区。
裏山に畑を持つ小学校。
隔年のお祭りと、ラジオ体操のない夏休み。
古い一軒家。
町外れのマンション。

振り返れば長い日々を過ごしてきたけど、何でだろう?
何をもって、私はふるさとと思うのだろう?

わからないな。
もしかしたら、ただ家を出て1人で暮らしてみたいだけなのかもしれない。

2010.03.11

あっという間。

無事に教習所を卒業しました。
あとは後日、学科の本試験を受けて合格すれば免許がもらえます。

今日は卒業の為の路上試験。
2人1組で指定のルートと目的地までの自主経路を走ってきました。
若干苦手だけれど、一番最初に運転した時に教えてもらった教官が検定官。
最初と最後が同じ人って何やら不思議な巡り合わせ。
ダメ出しばかりだった最初と、ちょっと褒めてもらえた最後。
この対比が際立って印象に残りそうな気がします。

それは置いておいて。

同じ組だったのは、10歳ほど年上のお姉さん。
試験後の待ち時間が1時間強あって、待合室で色々とお話していました。
結婚して、お子さんが2人いて、近々北米に転勤の予定なので、その前に免許を、と。

お子さんがまだ幼稚園に上がるか上がらないかの年齢だと聞いて、思わず自分と重ね合わせてしまったのです。
「現地の学校に通わせても、帰ってきたらすぐ英語は忘れちゃうよね」
とおっしゃっていたけれど、それは確かに話す相手がいなければ半年くらいで忘れるだろうけど、日本以外の国で暮らしたという記憶は忘れないはず。
その記憶はきっと帰ってきた後も生きる糧になる。

ギャップもあるし、大変なことも多いだろうけど、日本以外の国に住むことは悪くないと思う。
絶対必要だ、とは言いませんが。メリットもデメリットもあります。
私、日本語読み書きできるようになるのちょっと遅かったし。

お姉さんから「母親目線」を聞けたのは、今日の収穫です。
子供目線からしか今までとらえてなかったから。
自分も言葉に自信なくて、慣れるのに大変だけど、子どもたちは現地校なのか、日本人学校なのか。数年したら帰るのだし…どう育てよう、どう育ってほしいだろう。まず、どうやって飛行機で過ごさせようか。
そんな悩み。
子どもの数年って相当長いな、という感じだけれど、親からしたらあっという間。その間にどんな日々を送ろうかしら?と色々思案している様子でした。
そんなことを、私の両親も考えていたのかしら。
育てる側の目線。そんなこと、考えてもみなかった。
日本で幼稚園か保育園か、と悩む以上の決断を迫られますしね。たぶん。
自分だって、慣れるのが大変なのに。

でも、何歳でも、海外で生活してみることはその後の糧にならないことはないはず。
旅行じゃ得られないものが、絶対あるから。
たぶん、子どもたちが現地になじむよりも更にお母さんの方が大変だろうけど、楽しんでもらえたらいいな、と願わずにはいられないお姉さんとの一期一会でした。

2010.03.07

5ヵ国語スピーカーになりたい。

大学に入ってから1年間、イタリア語を学んだ。第2外国語に力を入れるカリキュラムで、週4回の授業を受け続けた結果、実用イタリア語検定4級レベルのイタリア語は概ね解るようになれた。
ひとまず3ヵ国語スピーカーへの第1歩!

受験生時代に密かに立てた大学在学中の目標の1つに、「5ヵ国語習得」を挙げているのです。
日本語、スペイン語、英語、イタリア語、中国語がそれ。
列挙する順番がおかしいと感じられるかもしれない。でも、私の中の順番は上記で合ってる。
もう忘れてしまったけれど、私の第2言語はポルトガル語まじりのスペイン語。
何となく解ってきた頃に南米から帰国して、忘れた後に英語に出会った。学び直す間がないままイタリア語を追加で学び始め、中国語も日常会話程度を独学しようとしている。しかし、スペイン語は第2言語という意識は消えない。イタリア語と似ている利点をいかして再習得を目指したいと意欲だけは持ち続けているけれど。

更に言えば、日本語は「母語」と厳密には思っていないのだ。あくまでも「第1言語」として一番得意で関心がある言語。だから、表現手段に使っている。日本文学を専攻しようという身ではあるけれど、日本語に対する愛着というよりは、興味が強いといった方が良いかもしれない。
物心つく前に数ヶ国語に接して、一部話していたからか、第○外国語という表現は、私には馴染まない。違和感がある。言ってみれば全て外国語なのです。…この表現も適切とは言えないかな。

父は4ヵ国語スピーカーで、母も日英の他にスペイン語を勉強している。
5ヵ国語習得の前段階として、両親に追い付くのが目標だけれど、日本語を軸と考えている両親とは学び方や言語の捉え方は違うのだろうと思う。
話せないし、大して覚えてもいないから、帰国子女を名乗るのは抵抗があるけれど、文化や価値観への感覚のズレはたまに感じる。日本だけしか知らなければ、日本を絶対的な中心と捉えていたら多分感じないような些細な事への違和感は、私を形作る要素の底辺に南米の記憶が残っている微かでも確かな証拠。
感覚が違った場合の言い訳に使いたくはないけれど。それを言い訳にするのは、本当に長い間海外で暮らしてきた人だけが使えると思うんだ。

日本、日本語の感覚が絶対ではない。言語や方言の数だけ価値観がある。
その事を念頭に置きながら、5ヵ国語習得を実現したい。言語を学ぶことは、価値観を学ぶことでもあると思うから。
そんな夢を描いて語学に励むのです。これからも。

2010.03.05

Chile

 雪が降りそうな寒い7月のある日、それは前触れなく訪れた。
最初は「おふざけが過ぎた」のかと思った。
リビング全体、いや、マンション全体が揺れていた。ビデオ再生中のテレビの前、歌のお姉さんと一緒に飛び跳ねていたけれど、どうもピョンピョンしすぎたらしい。
 跳ねすぎた?と聞こうとソファに座っているはずの母を振り返ったら、母はわたしではなくあらぬ方向を見て、あら地震、と呟いた。

「ジスィン?ぐらぐらしてること?」

 聞いたことのない言葉を舌足らずに復唱してフラフラと母の元に駆け寄る。こうやって地面がぐらぐら揺れるのが地震、と母は教えてくれたが、地面が揺れるということが分からない。わたしが立っているのはマンションの上の方の階で、幼稚園やお買い物に行く時の地面じゃない。なんでマンションが揺れているんだろう。
 やがて、地震はフェードアウトするようにおさまった。
 ジスィンとマンションのぐらぐらとの繋がりが想像できないわたしは、咄嗟にぐらぐらする地面に立ったきつねとたぬきがマンションを一緒にぐらぐら揺らしている場面を想像した。ぐらぐらしている下の方に合わせてマンションを押しているから揺れたんだ。そうに違いない。
「きつねさんとたぬきさんが揺らしてたんだね!」
 母にそう言うと、訳がわからないという顔をされながら、そうかもね、と肯定されたので、そうなのだと強く確信した。母は娘の誤解に気付かずに、ジスィンではなくてジシンと発音を直し始めた。
 母には申し訳ないが発音も、誤解もしばらく直らなかった。生まれた国では7月が夏であり、暑いということが説明されてもわからなかったように、変だと気付くにはまだ幼すぎたのだった。外では雪が舞い始めていた。

*********

私の地震初体験はチリでした。
住んでいたのはサンティエゴに一年半くらいですが、それでも数回は地震を体験しました。自宅が高層マンションの上層だった記憶があるので、震度3くらいあったのかも。

チリ巨大地震で、とりあえず国全体がパニックになっていないのは、南米の地震大国だからというのも大きいと思います。
ただ、貧富の差が日本よりあるのは事実。
津波被害が半分と聞きますが、死者800人以上は、結構な数です。
ハイチの時と違って、救出作業が活発でないように見えるから、まだ増えるかも知れません。
治安の悪化も心配です。基本的には良い人たちが多いのだけど。

今はチリとの繋がりがないですが、物心ついたのが彼の国なのでとても気になります。
チリはこれから秋、冬に向かう季節。寒さがやってくる前になんとか復興の目処がつくことを祈ってやみません。
南北に細長い国だけれど、記憶では雪も降って積っていたし、結構な寒さのはず。
ハイチよりも平気じゃない、なんて言わず、日本の人たちにも関心は持っておいていただけたらな、と思います。

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